■大切なのは“自分”ではなく“他人”です(実験的な利他愛のすすめ)


■人のために役立つことをする、これが他のすべてのことに優先しなくてはなりません。大切なのは“自分”ではなく“他人”です。

■人のためになることであれば、どんなことでもよろしい。転んだ人の手を取ってあげることでも、勇気づけの言葉を掛けてあげることでもよろしい。

■地上には政治学、経済学、社会学といった立派そうな名称やラベルをつけた分野があり、それが勿体つけて説かれておりますが、どれもこれも、しょせんは言葉の遊戯にすぎません。私に言わせればサービスの一語ですべてが片付くのです。人のために役立つことをする、それが宗教です。



シルバーバーチの言葉を引用しました。自己愛を満たすことばかり考えていた当時の僕にとって、この”徹底した利他愛”は非常にインパクトがあったことが思い出されます。それまでの僕は「利他愛が大切なのは分かる。愛するから愛されるのは分かる。でもまずは自己愛を満たしてからだ」、あるいは「環境にハンデがあったし、辛い目にもたくさん遭ったのだから、いきなり利他愛に目覚めたって力尽きてしまう」という風に、自己愛を第一に考えていました。

それまでに読んだ本の中には徹底した利他愛を説いたものもあったかも知れませんが、その理屈を支える見えない世界観についての説明が貧弱で説得力が無かったためにすぐに色褪せてしまったり、または一見利他に徹することを説いているようであっても、実のところ見返り重視のものばかりだったように思います。与えたものは返ってくるはずで、すぐに返って来ないと空しくなって飽きてしまうんですね。



利他愛の大切さに関してはどれだけ言葉を並べても通じるものは限られるように思いますので、ここでは多くを述べません。実験的にでもご自分で体験なさるのが一番手っ取り早い方法だと思います。では具体的になにをすれば良いのでしょうか。

今日でも明日でも、あなたの目の前に居る人に何かしてあげられることはないか考えてみてください。

利他愛を大袈裟に考えないで下さい。極めて日常的な話です。肩のホコリをはらってあげることでも、一言声を掛けることであっても、笑顔を向けることであっても利他愛です。家に篭もっていて暫く他人と会っていないという人でも、外の世界に対して自分に何が出来るか考えてみてください。インターネットで見知らぬ他人にやさしい言葉を掛けることも、誰にも会わないように夜中街のゴミを拾うようなことでも利他愛は利他愛です。

そんなことをしても別になにも起きません。他人から良いことなど返って来ませんし、被害妄想の強い人からは悪意が返ってくるかもしれません。でも、”自分からは逃げられる”んです。自分のことをあれやこれやと病的に分析したり、延々責め続けたりする思考から逃げることが出来ます。それが「良いこと」と言えば確かにそうですが、世に広まっている「ご利益」のような考えとは意味が異なると思います。



矢印を思い浮かべてみてください。自分から発した感情の矢印です。『自己愛を満たそうとする矢印』と『自分を責める矢印』はかなりの部分で重複、比例するように思うんですよね。自己愛を満たそうと考えている人ほど、自責の念などのマイナス感情も多いとは思いませんか?結果だけを見ると当たり前かのような印象ですが、相互作用で更なる悪循環を生んでいると思うんです。自責の念がいらないのと同時に、自己愛もいらないんじゃないかと。

人間は自分にあまり興味関心を持ってはいけないように出来ているように思います。摂理がそういう風に出来上がっていて、今それに反した生き方をしているから苦しくなっていると思うんですよね。身体がそうじゃないと訴えているとも言えるのではないかと思います。

霊訓を読み、以上のような解釈をし、ならばできるだけ他人へ関心の矢印を向けようじゃないかと思い、利他行為を実験してみることにしました。結果案の定功を奏し、それまで僕を支配していた強迫観念やフラッシュバックからかなり解放されて現在に至ります。もちろん自分のことを全く考えないわけではありません。そんなことは不可能です。以前は自分が90だったのが今は30になったとか、程度問題の違いです。

利他行為の力の源泉が尽きるということはありません。”逃げる”という動機からはじまったものであっても、霊的知識が充分にその後の自己を補ってくれるという話にも繋がります。これで終わる話ではなく、あくまでもはじまりに過ぎないという認識が大切だと思います。僕自身、やっとはじまったというような意識が強いです。なお、傷ついた人ほど大きな愛が与えられると思います。それが自然法則だからです。2004.1.28



※”逃げる”という表現に抵抗を感じる方がいらっしゃると思います。が、自分が一番苦しかった頃のことを思うと文字通り逃げたくて仕方がなかったので、そのまま使うことにしました。また、罪悪感から逃げという言葉に拒絶反応を感じられる方もいらっしゃると思いますが、この場合の逃げとは自分の築き上げた余計な思考から逃れる方法であり、現実の問題から逃げることとは別問題だということをご了承ください。むしろ利他行為によって現実の問題は解決の方向へと向かうと思います。2004.1.29

※他人へ矢印を向けるといっても、他人を責める矢印と利他愛の矢印があります。それなら他人を責めてもいいじゃないかと思う方もいるかも知れないですね。でも、他人を責めるというのは実は自己愛を満たそうという行為に他ならないと思います。他人を責めても自分から逃げられないというのは、これを読まれている方でも経験から理解できると思います。また、相手を責めているように見えるけれど実は愛している、こういう行為をする”毒舌家”と言われる人も居ますが、本心が利他愛なら、問題はなにもありません。2004.1.29

※「でも他者にばかり矢印を向けて奉仕しても、なめられていじめられないだろうか」などと心配される方もいらっしゃると思います。しかしそうした心配は利他の方向性を間違えています。単に相手の為に尽くすというんじゃないんですね。本当に相手を向上させるにはどうすれば良いか?というサービスです。だから使い走りのようなものではないということ。そんなことをしても相手の為にはなりません。2004.1.29

※医師から処方された薬を服用していたり、各種精神療法、カウンセリングを受けているという方もいらっしゃると思いますが、そうしたものを否定しているわけではありません。薬を飲む時間は一日に何分でしょうか。精神療法は一週間に何時間でしょうか。2004.1.30




戻る


[PR]初回鑑定無料キャンペーン中!:多ジャンルのプロ占い師による本格鑑定。