
■霊訓を考えてみる3
■迷ったら動機を見つめればよい
■動機が人のためということであれば、たとえ間違っていても咎められることはありません。動機が何よりも考慮の対象となります。
■世間がどう言おうと、まわりの人が何と言おうと、自分で正しいと思うことをしなさい。その方が都合が良いとか得策だからではなく、心の奥でかくあるべきと確信したこと、良心がそう命じていることを実行すればよいのです。いたって簡単なのです。
ところが人間はなぜか複雑なこと、ややこしいことを好みます。もう当たり前になってしまった単純素朴なことは毛嫌いします。私はあくまでも良心の命じるままに従いなさいと申し上げます。良心こそ神の声であり、善と悪とを選り分け、進むべき道を指示します。
■決断を下さなければならない事態に立ち至った時は、それが特定の少数の人ではなく、全部の人、あるいはなるべく多くの人にとって益になることを動機として判断しなさい。
動機に関するこれらの言葉は、霊的真理を非常に分かりやすくしてくれたように思います。霊訓を読み返して理解を深めることは大切に思いますが、一言一句そらんじてみせるようなことは必要ありません。僕は霊訓が教義になってしまうことを防ぐ最大の力を発揮している言葉が、この「動機」ではないかと思っています。
霊訓を絶対視せず基本的には自分の頭で考え、これからしようと思っていることの動機を静かに見つめれば、全ての答えは自ずと出てくるように思います。霊訓がガイドブックのような存在になってこそ、その真価を実感出来るというような気がします。
動機重視ということは個性重視ということであり、統一の解答は無いということです。今日一番正しい決断を下したと思っても、明日には変わるかも知れません。でもそれで良いということなんです。その時最善の動機を選択したのであれば、気持ちが変化しても過去が間違っていたということにはならないというのが真理なんです。
現在人生の答え探しに躍起になっている人も、この動機の問題を考え理解されれば、自然に窮屈な足枷は外され、視野が広くなるのではないかと思います。2004.4.3
■埋め合わせの原理
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