
■ご利益というものはありません(完璧な因果律)
■因果律は根源的なものであり、基盤であり、変更不能のものです。自分が種をまいたものは自分で刈り取る、これが絶対的摂理なのです。原因があれば、それ相当の結果が数学的正確さをもって生じます。それ以外にはあり得ないのです。かわって、その結果が新たな原因となって結果を生み出し、それがまた原因となる、この因果関係が途切れることなく続くのです。咲く花は、間違いなく、まいた種に宿されていたものです。
Q.地上での行為、地上生活中に、因果律が働くのでしょうか?
■A.そういうこともありますし、そうでないこともあります。因果律は、必ずしも地上生活中に成就されるとは限りません。が、必ず成就されます。そういうように宿命づけられているからです。原因と結果とを切り離すことはできません。ただ、原因の性質によって、それが結果を生み出すまでの時間的要素に違いがあります。ですから、行為によっては地上生活中に反応が出る場合もあり、出ない場合もあります。が、霊的な余波は機械的に影響を及ぼしています。
シルバーバーチは至るところで神とはこうした法則、完璧な因果律であると語っています。振り返ってみると僕はこれをすんなり納得したように思うのですが、あなたは思われるでしょうか?これに比べると、この世に溢れている生き方指南本に説かれている事は、なんとせせこましい世界観でお粗末なことかと思います。
それらによると地上に生きている間に因果律が簡単に働くことになっていたり、また前世を説いたようなものであっても見方があまりに一元的すぎていたと思います。前世で○○をしたから●●になっているのだ、という風に。それもシルバーバーチの言葉と矛盾しないのですが、それだけではないということですね。
見えない複雑な次元で分かりづらく絡み合ったのが因果律だそうです。今現在同じ結果が出ている人同士であっても、それまでの、そしてこれからのプロセスは一人一人異なります。分かりづらいけれど、絶対的に正確であると。
「憎まれっ子世にはばかる」などと言いますが、世の中には他人から悪人と言われる人でも幸福な大往生を遂げることがあります。さんざん人を苦しめた生き方をして放蕩して、でも幸福な家庭を築き上げて、皆に見守られながら亡くなっていく人がいます。そういうこの世だけの事実を見たなら、誰でも神も仏もあるものかと思うのが普通だと思います。納得行かないですよね。逆に、少しも恵まれない暮らしをしながらも、毎日人のためを思って一生懸命頑張っている人もいます。
このような不平等は、唯物主義の視点に根ざしたものに過ぎないということです。詳しくは後述しますが人間の生命は永遠であり、僕も常に長いものさしで因果律を考えるように心掛けています。自分がこの人生で背負った苦労はいつか必ず報われます。それは今の地上人生ではないかもしれません。今の人生でどれだけ霊的真理に適った生き方をしようと、最後まで良いことなど何も起きないかも知れません。でも苦労したことは絶対に無駄にはならないということです。こうしたことに僕は深い感動を覚えます。2004.1.28
※「因果律が単純でないことは分かったけれど、今自分が酷い環境にいるのはそうした種を蒔いたらなんだな」などと悲観される方がいらっしゃると思います。しかし、それもまた一元的な見方に過ぎないようです。シルバーバーチは別のところで”困難な仕事は頑健な人間に当てがわれます。タフな人間にやさしい仕事を与えるのは無駄というものです。厳しい使命が与えられるということは、その人が霊的に有能であることの指標です”と語っています。必ず克服できるという確信の元に生まれてきたのだと言えると思います。2004.1.29
※ここまで読まれて気づかれた方もおられると思いますが、シルバーバーチは一つの解答によって生じる新たな疑問にも全て明確な解答を示しているんですね。なにしろシルバーバーチというのは人間の前に60年間もの長きに渡って出現したんです(シルバーバーチの専属霊媒、モーリス・バーバネルの若かりし日から、彼が地上人生を終えるまでです)。・・・そうやって新たに得られたその解答からもまた新たな疑問が生じ、また答え・・・次第に大きな繋がり、一つの大きな輪の映像が浮かんできたのは僕だけではないでしょう。こうした面からも因果律の存在を感じた瞬間でした。
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